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和「ひらり」

1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/03(月) 11:28:22.80 ID:1E8rGNzgP [1/9]
例えば平沢唯は私の親友だ。
未だにこうして連絡を取り合っていると、私たちはちっぽけなどこかで繋がっているのだと実感する。
まぁ、今回は私から電話をかけたのだけど。
「もしもし、唯ー」
「もしもーし。和ちゃん?」
「そうよ。今平気かしら」
「うん、まぁ一応大丈夫~」
変わらない不抜けた声に安堵を覚える。



ちょっとした企みのために、私はこうやって電話をしている。
昔は、物覚えのつく頃から高校まで同じ土地で暮らしてきたのだけれど、今ではすっかり別々の街で暮らしている私たち。
生活や環境や、その他もろもろのご近所事情すら把握しきれない近況。
あの頃なら考えもつかなかったことを、今では当たり前のように受け入れてしまっている。
いつまでも依存してはいられないということだ。お互い様に。

「今度の日曜にデートしましょう」
私からびしりとを打った。
「おおぉ! 珍しいね、和ちゃんがデートなんて言葉使うなんて」
「普通そっちに注意を向ける?」
「あはは、ごめんごめん。和ちゃんと会うの何ヶ月ぶりかなぁ」
「そうねぇ……だいたい三ヶ月くらい?」
「そんなに顔見てなかったんだ」
「そんなにって、大して長い時間でもないでしょう。今となっては」
大人になるにつれ時間の流れが早く感じ取れるようになる、という一般論がある。
かくいう私はというと立派に成人した大人であるから、
最近では一日があっという間に過ぎることによる驚きさえも既に通り越して完全に慣れきってしまっているのが現状だ。
キャリアウーマンもオフィスワークも楽じゃない。肩書きの響きが横文字で格好良いくらいだ。
あの頃が懐かしい。無邪気さと好奇心だけで満たされていて、時間なんて寸分も気にしなかった時代が羨ましい。


4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/03(月) 11:31:20.27 ID:1E8rGNzgP
「それで、デートいいわよね?」
「今日の和ちゃん何だか強気ぃ」
「で、きちんとした答えはまだ?」
「もちろんおっけい!」
「ちゃんとカレンダー見て言ってる?」
「……ちょっと待ってて」
果たしてこの子は成長しているのだろうか。
面倒を見なくなってから数年になる。受話器やメール越しの連絡は耐えなかったけれど、
それらの会話の断片から未だに一人前に成りきれていないのだということは容易に分かっていた。
いい歳なんだから、なんて言葉にしたらお節介だと反論されるのだろうか。
「大丈夫でした!」
「よろしい」
「あ! でもさ、デートってどこに行くの?」
「良い質問ね。ちょっと山にでも行きましょう」
「やま!?」
「心配しなくていいわよ。今となっては小さな雑木林だから」
唯がどこまで覚えているのかまでは分からないけれど、少なくとも私にとっては大事な幼い日の記憶だった。
今となっては――そんな言い方ができたのは、今さっきまで現場を見て回っていたからだ。
企み屋な私は、こっそりと唯を出し抜くために下見をしてきたのだ。
「雑木林? それってどこの?」
「小学校一年生の夏休みに、二人で探検したところ」
「……えーと。うーんと……」
「忘れちゃったの? ほら、雨が降ると沈んじゃう橋がある――」




5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/03(月) 11:34:49.09 ID:1E8rGNzgP


雨が降ると沈んでしまう橋、というのは文字にすれば些か間抜けな感じがするけれど、
いわゆる田舎と呼ばれる地域に三日もいれば驚きも当たり前に変わってしまうというものだ。
特に子供なんかは、一瞬気には取られるものの次々に物珍しいものを見せられれば、
ついつい新しいものに意識を向けてしまうのは仕方がない。
小学校に入った年の夏休み、私の家族こと眞鍋家とご近所の平沢家はふた家族一緒になってちょっとした旅行に出かけた。
今、二十年ばかりの時をまたいで再び訪れたこの地に遊びにきていた。
大人になった私の意識を持っていこうとするのは、新鮮さではなく懐かしさだった。

天候は晴れ。絶好の山登り日和。にしてはやたらと軽装な私がいた。
ポロシャツにジーパンで持ち物といえば車の鍵くらいしかポケットに入れていない。
それこそ子供の時は熊が出るんじゃないかと怯えたりしていたけれど、
今になってよく見れば有り触れた小山だとすぐに分かる。カーナビの地図で大した面積でないことは確認済みだ。
古ぼけた木の橋を渡って、私は山もどきへと近づいていく。
二十年前の私たちの後をついていった。あの頃の唯を先頭にして山へ入った。

おへそ辺りまで伸びた雑草が一面に広がっていて、私は分け入るように足を踏み入れた。
小学校一年生でならだいたい胸の上ぐらいまで覆われるだろうか。
あの運動嫌いな私が、快活に走り出した唯によく付いていけたものだと関心する。
離れて一人ぼっちになるのが怖かったのだろう。
また、父母に内緒で山に近づいたことを咎められたくなかったのだろう。
「のどかちゃん! こっち!」言いながら勢いよく草木に飛び込んでいく姿を見て、たまらず追いかけた。
肌や服にまとわりつく葉先がくすぐったくて仕方なかった。
雨上がりでもあったから、時折ぬるりと沈む土と、動く度に跳ねる草露が鬱陶しくて嫌だった。
けれども蒸発した水分は、太陽に焼かれた草の匂いだけは異様に心を浮かせていた。
ぐんぐん進む背中を見失わないようについていった。


6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/03(月) 11:39:34.31 ID:1E8rGNzgP
景色が緑から茶の色合いを濃くしてくると、太い木々が日光を遮らんとはるか上方で茂っていた。
あれほどの雑草は、養分を吸わるためかひっそりと数を減らしまた背を低くしていた。
ちょっとした傾斜のある道なき山道を登っていく。酸素が濃くて涼しげのある山道だ。

草むらをいち早く抜けていた唯は足を止めていた。
私も草の間を抜け出るとすぐに追いついて、待っててくれたのかなぁと思ったけれど、
「がさがさーっって! 面白いね!」という唯の言葉にいくぶんか落胆したのを覚えている。
それから滑る木の根を避けつつ、二人連なって山の奥へと入っていった。
二人の詳細な足跡は、残念ながら記憶から消されてしまったようだけれど困ることは無かった。
傾斜はすぐに逆転して下りとなる。
小さな頂に立てば、さっきから耳に入っていた水源を目にすることができた。山間を流れる小川だった。
小川はちろちろと緩やかな下りに流れを任せていた。
触れば冷たく、仮に飲んだとしても害なんて無いだろう綺麗な流水である。
けれどあの時は雨上がりであったから、今よりも多少は水量が多くて濁っていたに違いない。
濁流とまではいかないが、それこそ近づいたらいけないものだと一目で分かるくらいだったろう。
なのに唯ときたら、喜びの声を上げて小川のたもとへと駆け下りていったのだ。
大した坂でもないのに腰を引いた私は、唯みたく滑り降りることなんてできなくて、四つん這いでゆっくりと足をつけていった。
やっとの思いで小川のたもとに着くと、私は向き直って驚いた。

いつの間にやら唯は小川の向こう岸に渡ってしまっていたのだ。橋もない川の上を通ってしまっていた。
「のどかちゃん! こっちこっち!」唯は流れの中からぽこり覗いている石に足をかけて言った。
突き出ている石を渡りついでいけばいい。唯はそうやって向こう岸にたどり着いて、当然のように私にも勧めてきたのだ。
怖くて躊躇ってしまった。それはそうだろう。
決して溺れるほど深くはないだけれど、流れる早さと土から濁った黄色がまだ幼い恐怖心を煽っていた。
その時、唯がまた一歩踏み出した。手をこちらに差し向けたまま、川幅の中に体を重ねたのだ。
視界と体をこちらに開いたまま、ぐらぐらと不安定に待っている唯。
私はたまらず踏み出した。ちらりと石の場所を確認して、すぐに前だけに集中して飛んだ。
一歩二歩三歩、それだけ踏んだところでぐいと腕を引かれ、今度は大きく跳躍した。
ほとんど抱き合うような形になりながら、私たちは揃って岸へと着地した。
惚けたように呆けたままになっている私の目の前で唯は「にんまぁ」と笑ってきた。

7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/03(月) 11:43:47.82 ID:1E8rGNzgP
大股三歩でせせらぐ沢を超えた私は先を目指した。
といっても折り返しとなる目的の場所はそう遠くないはずだった。
小川を背にして歩くこと一分も経たずにさるなしの木を見つけたはずだ。

探検モードに切り替わった唯を先頭に連なって歩いていた。歩き始めてすぐ、私は緑色の果実らしきものを発見した。
足を止めて実を観察してみると、横に伸びる大木に絡みつく、また別の木から成っていることが分かった。
そんな私の様子に気づくことなく、お構いなしに先へ進もうとしていた唯に「ね。これ何の実かな?」と声をかけた。
唯は興味を示したようで、飛ぶように戻ってくるとその実をまじまじと睨んでいた。
「こくわだ!」さるなしの実には“こくわ”という別名がある。
唯はどうやら知っていたようだ。「食べれるんだよ」と今すぐに食さんとばかりに実に手を伸ばした。
私は「やめようよ。毒とかあるかも」なんて顔を蒼くして必死に止めようとしていた。
“こくわ”は食用であるけれど、普通の子供がそんな知識を持っているはずもなく、どうにも私には野山に生えた実としか映らなかった。
唯は私の顔を見て、また実を一瞥して「分かった」とだけ言うと木の根元に置いた。
「じゃあ、集めて持って帰って、食べていいか聞こう!」また目に活力を戻すと黙々と実を収穫し始めてしまった。
その夢中ぶりは横槍を入れるのも躊躇われるほどで、私は更なる反論を諦めると後ろ手に座った。

現在の私はというと、さるなしの木を探すのにすら苦労していた。
予想していたことだけれど、足を踏み入れた雑草林も飛び越えた小川も、昔通った場所とピタリ一致するなんて都合のいい展開なんて有り得ない。
川のラインを思い出して平行に探索していく。と、いきなり右手の斜度がきつくなった。
大人の私でも、それでなくても誰もが滑り落ちそうな傾斜だった。木々がなければ崖と呼んでも差支えはないだろう。
もしかして……。一瞬の不安が掻き立てられて、思わず左を見た。さるなしの木があの日と変わらずに生えていた。
私は「はは」と笑って、過去に胸を撫で下ろすしかできなかった。
あの時唯を引き止めていなかったら、山崖を滑り落ちていたのだろうか。

三十分ほどだろうか。唯は手に届く全ての実を取り終えると力尽きたように、私と私が背にしている木の隙間に肩を預けた。
「疲れたあぁあぁ」間抜けな声でへたり込む姿は少し笑えたけれど、またすぐに退屈がやってきた。
唯が実を乱獲している最中、何度か混ざりたい気持ちを掻き立てられていた。
あまりにも楽しそうだから私も、なんて思っては唯の勢いぶりに遠慮してしまったのだ。
……美味しそう。唯が収穫して根元に敷き詰めた実を見ていたら、不意に肩から息が抜けた。
すぐ横を見れば唯が今にも眠りに落ちそうになっていて、私は慌てて声を上げた。

10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/03(月) 11:48:34.67 ID:1E8rGNzgP
行く道と帰る道は、全く同じ経由であるにも関わらず、向きが逆というだけで違う印象を抱くものだ。
それはちょっとした時間の経過や、日ごとに移ろう変化のせいであるのかもしれない。

私は眠そうな唯の手を引いて早く帰ろうと歩を強めていた。
「ふにぅ」とか言ってる唯は、シャツをまくり上げた間に合わせの収穫袋に“こくわ”を揺らしていた。
すぐに小川にたどり着いて、少しだけ息を飲んだ。太陽が向こう山に落ちようとしている。
私は唯の手をきつく握り直して飛び石の一つ目に足をかけ、二つ目、三つ目と進んでいった。
トポン、ポチャン――途中で後ろから聞こえたきたけれど、構わず渡り切るのが正解だと思った。
渡りきってみれば、何のこっちゃ怖くなかった。不思議なくらい恐怖心が消えていた。
唯はやはり“こくわ”の実を落としていたようで、シャツの袖をつまんでいるだけだ。川にはどんぶらこと実が流れていた。
気付いていないのか興味を失くしたのか、唯は実を落としたのに悔しがる素振りを見せなかった。
ぼんやりと、仕方ないといった様子で佇む唯の姿。
つまんだままの裾から手を離させ、自分の手を握らせると、二人一緒になって先を急いだ。

雑草群を抜け、雨が降ると沈んでしまう橋を越え、私たちは両親の元に戻った。
当たり前にそれぞれのパパママにきついお叱りを受けた。
その時になってようやく、きつく握り締めていた唯の手を私は離した。
お叱りは意外なほどすぐに終わって、両親たちは次にどこを観光しようかという話を交わしていた。
すぐに決まると私たちは車に乗り込んで目的地に向かう二つの家族。
道すがら隣の席では唯が今度こそ眠りこけていて、そんな姿を見て私も疲れを思い出してしまった。
次に意識がはっきりした時には新しい観光地に着いていた。
唯は二人で探検した記憶なんてどこかに落とし忘れたみたいに車から飛び出した。




12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/03(月) 11:52:32.88 ID:1E8rGNzgP
「――みたいな感じだったじゃない。覚えてる?」
「…………」
何故か返事が無かった。
「おーい。唯? 起きてる?」
「あっ、うん。もう食べられないよぉ」
「ベタなギャグで誤魔化すのはやめなさい」
「えへへ。ごめんごめん……」
「もう。あんたが本当に寝てたら、電話越しにでも寝息で分かるわよ」
「おおぉ。和ちゃんは千里眼ですなぁ」
「千里耳っていう言葉だってあるわよ」
もしかして忙しい時に電話をかけてしまったのだろうか。受話器の向こうは当然ながら伺い知れない。
まぁ唯が「大丈夫」と言ったからには続けても構わないのだろうけど。
「ところで、彼氏さんとはどう? 仲良くやってる?」
「うん。四年目に入ってもラブラブです!」
「あはは、羨ましいわね。こっちは何だかオザナリって感じよ」
「でも和ちゃんが選んだ人なんだから、きっと良い人に違いないよ!」
「ありがとう。そういえば、まだお互いに紹介して無かったっけ?」
「あ、そういえばそうかも」
「今度場を設けましょう、そう遠くないうちにね。詳細は日曜のデートの時にでも」
「おっけ~」

唯。正直に言うと、私はあなたを追いかけるようにして成長したのだと思う。
見境なく突っ走る後ろ姿がどうにも危なっかしくて、フォローしなくちゃって気持ちが急き立てられて。
高校で生徒会長なんてやったのも、そういった世話の一環なんだと今更に思うのだ。
けれど私たちは成人して、お互いが別々のパートナーを見つけた。
唯はどう思っているのだろうか。
最近は当たり障りの無い話しかしていない様な気がするけど、日曜には真意を聞くことができるだろうか。


14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/03(月) 11:57:07.23 ID:1E8rGNzgP
「あ、和ちゃん!」
急に唯が声を上げた。
「ん? どうしたの?」
「明日の天気予報は雨って書いてあるよ」
おかしさを覚えて手元にある新聞紙をもう一度確認した。雨マークがあるにはあるのだけれど。
「もしかして自分の住んでる地域欄見てない?」
「……あ、ホントだ」
「全くもう。しっかりしなさいよ」
「でも、土曜日は雨百パーセントだよ。一日で晴れるかな」
「晴れるわよ。きっと」
晴れてくれないと困るし、また前日が雨というのも不思議と都合がいい。
土曜の夜はてるてる坊主かな、なんて考えを巡らせていた。

「私、結婚するんだ」
あの小川をひらり飛び越えた時に言うつもりだ。
二人協力して渡った小川を、今度は一人軽く飛びきって言ってやる。
左手を日にかざして、真っ赤なネイルと薬指の決心を見せつけてやるのだ。
果たしてそれは限りない自己満足に他ならないけど、そうせずにはいられないのが今の私だ。
唯のまだ知らない私を知って欲しかった。
紅茶はムギより上手く淹れられるようになっただろうし、車の免許だって取った。疲れて眠くなったら私が運転するから。
お互い離れていた時の、秘密の話なんかをたくさんしよう。

晴れたらいいね。晴れたらいいな。
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